家族の誰かが亡くなった時、その人のそれまでの道のりをなぞるのは案外難しいものです。例え一緒に生活してきた祖父母でさえも生家はどういった家で、両親や兄弟祖父母といった大家族で暮らしていたのか、はたまたドラマチックな複雑な家庭で育ったのか、本人の口から話してくれた内容と、本人を知っている人の話を擦り合わせていくぐらいしかわかるつてがないのが大半ではないでしょうか。ところで、先日とある本を読んでいて政治家の麻生太郎氏の家系図を目にしました。そこにある彼を取り巻く血の繋がりのある人物と言うのが歴史の教科書に出てくる名前ばかりなのです。

政治家の世襲制批判は置いておき、彼の育った環境を窺い知る役目をその家系図は果たしているのではないでしょうか。そんな大物ばかりの家系はほんの一握りで、多くは家系図を作成していない限り祖父母の父母の名前すら誰も知らないなんて事もあり得るのです。自分という存在はある日突然生まれた訳でなく、父母の父母のそのまた父母のといった具合に、本人は知らなくても先祖はずっと遡っているのです。家系図を作成するなんて仰々しいと感じるかもしれませんし、ただ知らない名前を並べたものを見て何になると思われるかもしれません。

だけど作成することによって、自分以外の家族がしっかり存在していること、そしてそこに記された人々の人生があって自分が立っていることをそこはかとなく感じることが出来るのではないでしょうか。

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